「青い鳥のゆくえ」 五木寛之
2005年 11月 05日
この本では、メーテルリンクの名作「青い鳥」の本当の結末が、苦労の末につかまえた青い鳥がふたたび逃げてしまうという悲しいものだったという事実から、五木流の人生の諦観あふれる自説を説いている。
人間は「青い鳥」という夢や希望がないと生きていけない。しかし、それはつかまえたと思ったら逃げてしまう、永遠につかまえることができないものなのだ、と。だから人は、自分の手で「青い鳥」をみずから作らなきゃいけないのだと言っている。
俺は五木氏ほどネガティブには考えなくとも、人生の最終目的などない、という部分で五木氏の考えと共感するところがある。人は夢や目標を自分でつくり、それに向って励むことで生きがいを感じることができる。しかし、一つの目的をクリアしたら次はこれ、というように、自分で目標、目的を設定し続けなければ日々の充実感は得られない。
だから一生、ゴールというものは見つからないものなのだ。人は命がついえるその日まで、常に次の生きる道を探し求める。それが人生だ。
ところで、本の中で五木氏はとてもいい事を言っている。その部分を引用してみる。
★以下は引用。
★アメリカの大学の実験で、深く悲しむこともまた、よろこぶことと同じように人間の細胞を活性化させて自然治癒力を高めるということが、はっきりと確認されているんです。 悲しむことは体に悪いというふうに思いがちなんですが、そうではありません。人間はよろこぶことでいきいきすると同時に、深く悲しむこともまた、その人の命に、いきいきとした活性化を促進し、治癒力を高めるということがあるのではないか。 そうしますと、ひとのために悲しむこともひとのためならずで、それはその人にも返ってくることなのです。ですから私たちは、よろこぶと同時に悲しむことも忘れてはならない。
・・・大いによろこび、大いに悲しみ、大いに怒り、喜怒哀楽の感情というものを抑えずにどんどん発散させ、まわりの人から、あの人どうしたのかしら、なんて言われても一向にかまわずに、喜怒哀楽を強くあらわしていくほうが、人間にとってはいいんじゃないかと思うのです。
以上、引用。
俺には深く悲しんだ経験がない。近しい家族は皆一応健在だし。
だから、最愛の家族を無くしたりして悲嘆にくれる人の身になりきれないが、自分の心の中で何かが弾ける感覚は、そういう喜怒哀楽の極限でしか味わえないものなのだろうと感覚的にわかる。人の人生が変わるのにも、そんなきっかけが必要なのかもしれない。
以上、東北戦線異常無し。
落葉が風に舞い、パラパラと音を立て続ける。
はっきりしない天候にしびれを切らしたように、山の木々はくすんだ色の葉を落としていく。
しかし・・・今年は暖気と寒気のせめぎあいがいつまで続くのだろう。
by kaiseik
| 2005-11-05 01:16
| 読書道
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