「素直な心」になるために
2008年 11月 05日
松下幸之助氏の著書「素直な心になるために」を読むと、「素直な心」には「広く寛容な心」というのが含まれている。「寛容な心」とは、人それぞれの違いをありのままに受け入れるということであり、人間の多様性を認め個性を尊重するということだ。人は家庭環境や体験を通じて、それぞれ心の中で独自の「観念」を育んできている。その「観念」は時にその人の「常識」に変わるが、他の人にとっての非「常識」であることも多い。そんなとき「広く寛容な心」をもっていれば、先ずはその違いを受け入れ、そして、少しずつでもそれを理解しようとする姿勢になれる。さらにはその先に、「観念」の違う相手を思いやり、違いを好ましく思う「愛情」も芽生えてくるのだろう。
ところで、松下幸之助氏の言う「素直な心」は、英語では「untrapped mind(とらわれない心)」と訳されている。「とらわれない心」とは、自分の「観念」にとらわれることなく物事の「ありのまま」を受け入れるところから始まるが、これがなかなかどうして、難しい。それは、人間には自分でも御しがたい「感情」というものがあるからである。この不安定で、得体の知れない「感情」というものが、脳で構築した理屈のベースにおかれていることで、人はややもすると感情に従い、間違った論理構築に進んでしまうのだ。つまり、感情というフィルターが選択肢を狭めてしまうのである。まさに「不寛容」な心の状態である。
松下氏はこうも言っている。「我々人間の行動は天地自然から与えられた智情意の総合の流れであって、これを分析してみると、あるときは智に片寄り、あるときは情に溺れ、又あるときは意に引きづられがちなことが多いのである。・・・智情意のそれ何れか一方に片寄るときは、我々の生活は事々に支障を生じ、ゆとりと落ち着きとを失って自らくるしむばかりでなく、他にも迷惑を及ぼし、とかくこの世は住みにくくなるのである。」
松下氏は「智情意の調和」が大切だと言ったが、これこそ全ての人にとっての、大きな人生修行の一つであろう。智情意をバランス良く働かせて、人のありのままを受け入れ、愛情をもって接すること。これはもちろん、俺の人生においても大切なテーマなのである。
以上、長野戦線異常無し。
by kaiseik
| 2008-11-05 04:54
| 道をひらく
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