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伊那谷を走る 1

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今週は金曜日、駒ヶ根市のお客様と夜食事の約束があり、久しぶりに伊那谷を南下した。四時頃に駒ヶ根に到着したが、1時間半ほど時間に余裕があるので、かねてから訪れたかった光前寺(http://www.kozenji.or.jp/mainframe.html)を訪れた。ここはしだれ桜で有名な寺だそうだが、それが観れなくとも閑寂さに十分に癒される空間である。苔生した参道から社務所とそれに連なる宝物館に入り、仏像群や閑静なお庭を観ると何故か神妙な心持ちになってくる。客は俺一人、お茶と落雁出してくれ畳に座り庭を眺めると、自然の神秘的なパワーが心に沁みてくる。本当に時間を忘れそうで怖くなり、早々に立ち上がった。その後、本堂に向かうと、三重の塔の前に、約700年前怪物を退治したという霊犬早太郎の像があった。それと、三重の塔や本堂自体には素晴らしい彫刻がほどこされ、これまで観てきた寺の本堂とは一味違う芸術性を感じた。俺はここで、自分に関わる全ての人の幸せを祈った。
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その後、寺にほぼ隣接しているといってもいい、駒ヶ根高原美術館に寄ってみた。
この美術館は近代アートがメインだが、イマジネーションを触発される作品が多かった。
(http://www.avis.ne.jp/~kkam/)
池田満寿夫の陶芸作品は、これまでの陶芸の概念を完全に打ち壊し、自然との合作とも言える新たな作風を編み出した。その滑らかな表面やねじれた造形には独特のエロスを感じつつ、それこそが自然の営みなのだと再確認させてくれる。ゴヤの版画「妄」シリーズは、彼が糾弾しつづけた戦争の狂気や、全てが「妄」であった時代背景を禍々しい比喩表現で訴えている。また、浜田知明さんの作品からも戦争の不条理さへの嘆きが伝わってきた。その他、藤原新也、草間彌生等、多くの作品が展示されていて、短時間の観覧であったがとても楽しめた。観終わってみて俺は、この作品群に共通するものを感じた。それは、「生」と「死」は同じ人生の線上にあり、いまもここにある、ということだ。平和の時代、ややもすると人は死から顔を背け、重石をつけて記憶の底に沈めてしまう。それは、エロスという生の営みを表面上ひた隠すのと似た精神的な行為である。そうしているうちに、死は自分のものではない、という誤った認識に至る。戦争とは、群集のそんな認識から再び湧き出てくるのではないか。決別しえない我が「死臭」からの逃避が、新たな「死臭」を生み出すことを忘れてはいけない。以上、長野戦線異常無し。
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by kaiseik | 2009-05-17 07:41 | 道をひらく | Trackback | Comments(0)

北海道戦線異状無し・・・メーデーメーデーっ


by kaiseik
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