伊那谷を走る 1
2009年 05月 17日
その後、寺にほぼ隣接しているといってもいい、駒ヶ根高原美術館に寄ってみた。
この美術館は近代アートがメインだが、イマジネーションを触発される作品が多かった。
(http://www.avis.ne.jp/~kkam/)
池田満寿夫の陶芸作品は、これまでの陶芸の概念を完全に打ち壊し、自然との合作とも言える新たな作風を編み出した。その滑らかな表面やねじれた造形には独特のエロスを感じつつ、それこそが自然の営みなのだと再確認させてくれる。ゴヤの版画「妄」シリーズは、彼が糾弾しつづけた戦争の狂気や、全てが「妄」であった時代背景を禍々しい比喩表現で訴えている。また、浜田知明さんの作品からも戦争の不条理さへの嘆きが伝わってきた。その他、藤原新也、草間彌生等、多くの作品が展示されていて、短時間の観覧であったがとても楽しめた。観終わってみて俺は、この作品群に共通するものを感じた。それは、「生」と「死」は同じ人生の線上にあり、いまもここにある、ということだ。平和の時代、ややもすると人は死から顔を背け、重石をつけて記憶の底に沈めてしまう。それは、エロスという生の営みを表面上ひた隠すのと似た精神的な行為である。そうしているうちに、死は自分のものではない、という誤った認識に至る。戦争とは、群集のそんな認識から再び湧き出てくるのではないか。決別しえない我が「死臭」からの逃避が、新たな「死臭」を生み出すことを忘れてはいけない。以上、長野戦線異常無し。
by kaiseik
| 2009-05-17 07:41
| 道をひらく
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