「Letters to Me」 letter4 「大至急!」という暗示
2005年 06月 24日
このところ家に帰るのが遅く、読書する暇がない。でも、トイレとか枕もとだとか、いろんなとこに本を置いといて「つまみ読み」するのが俺流だ。
ただ、置く場所により本のジャンルも異なる。トイレで読むのは名言や励ましの言葉が書き綴られたもの。朝の短時間で読めて一日の始まりに自分を励ますのに相応しい本。枕もとには、人生について書かれた本。一日の締めくくりに、自分のこれからの生き方を一日の反省もふまえて読む。それと仕事カバンの中には、英語の本や衝動的に購入してしまった本を入れて、移動中などの隙間の時間に読めるようにする。ジャンルはバラバラ、質も玉石混交である。
さてletter3の内容であるが、「なにをそんなに生きいそいでいるのか?」という自分への問いかけだ。
★「競争を生きぬくには、能力よりもガツガツと大至急で生きることだ」と信じこんでいる人たちもいるように思えます。言葉の意味を考えると、大至急なにかをするのは、プレッシャーを抱えて過ごすことと変わりありません。私たちのほとんど誰もが、すこしずつプレッシャーを抱え、すこしずつ燃えつきているのではないでしょうか?
⇒俺の場合は燃えつきてしまわないように、毎日心のガソリンを注ぎつづけている。それが読書であり、酒であり、ジムでのトレーニングだ。
こんな生活がいつまで続けられるのか分からない。たぶん少しずつでも燃えつきてしまうというのであれば、今の仕事が天職ではないということだろう。
天職に就いている人は、仕事自体が報酬であり、心のガソリンであるのだから。
★私の知りたいことは、このプレッシャーはいったいどこからやってくるのかということです。自分をちゃんと認められないとき。自分の限界をつくりあげてしまうとき。世間の常識を当たり前だと思いこんでしまうとき。考えごとをしているときや、ほかの人々と話をしているとき・・・・・・。
本当は信じていないのに、日々の糧を得るため、そして義務をまっとうするために、そこに意味があるとおもいこんでしまっているものごと。そういうものにむきあっているとき、このプレッシャーが芽を出すのではないでしょうか。
そのプレッシャーと、それにつながって現われる憂鬱感。これらは、恐怖心から生まれてくるものなのではないでしょうか。
⇒俺たちセールスに対するプレッシャーの重圧感、憂鬱感は相当なもので、本当に寿命を縮めているような気がする。しかしごく稀に、セールスが天職と言う人と出会うことがあり、そんなときはとても羨ましく感じる。 そういう人は、自分なりの恐怖の克服の方法をマスターしているのだろう。なぜなら、恐怖を感じない人など絶対にいないのだから。
★ユングいわく「生なき人生とは死に至る病である」。そうです。すこしずつ、すこしずつ、人は胸の空洞を満たすために躍起になって生きるようになってきます。そして自分の本質から、また人生からも自分たちを切りはなしてしまうのです。
もし人が、「自分を満たすのに必要なのは、自分自身なのだ」と気づけは、こうした大至急の人生も、永久に消えてなくなることでしょう。
⇒そうかなあ?この言葉には素朴に疑問を感じる。
「お釈迦様かイエスキリストじゃあるまいし、そんな簡単にいくわけないじゃん!」とツッコミを
入れたい。それに、現実問題としてセカセカ働かずしては稼ぐこともかなわず、生活が苦しい中で、本当に心が満たされるのだろうか?年収180万円のタクシー運転手の中で、常に満たされている人などいないはずだ。俺はだんだん、この本の著者は無責任なお金持ちなんじゃないかと思い始めてきた。
人生っていうものは、本当の自分を探す=本当に好きな事をしている自分になるために努力する、ことだと思う。そのために一生懸命汗をかきながら頑張ること、恐怖心を克服しようとすることは否定すべきじゃないと思うのだが・・・。そして自分の天職を見つけてはじめて満たされ、人生の完成を感じるのだと思う。
以上、東北戦線異常無し。昨日、高速道路の上で見た夕焼けはとてもきれいだったなあ。
太陽だっていつか燃えつきる。皆が燃えつきていくのだから心配してもしょうがないんじゃん?
ただ、置く場所により本のジャンルも異なる。トイレで読むのは名言や励ましの言葉が書き綴られたもの。朝の短時間で読めて一日の始まりに自分を励ますのに相応しい本。枕もとには、人生について書かれた本。一日の締めくくりに、自分のこれからの生き方を一日の反省もふまえて読む。それと仕事カバンの中には、英語の本や衝動的に購入してしまった本を入れて、移動中などの隙間の時間に読めるようにする。ジャンルはバラバラ、質も玉石混交である。
さてletter3の内容であるが、「なにをそんなに生きいそいでいるのか?」という自分への問いかけだ。
★「競争を生きぬくには、能力よりもガツガツと大至急で生きることだ」と信じこんでいる人たちもいるように思えます。言葉の意味を考えると、大至急なにかをするのは、プレッシャーを抱えて過ごすことと変わりありません。私たちのほとんど誰もが、すこしずつプレッシャーを抱え、すこしずつ燃えつきているのではないでしょうか?
⇒俺の場合は燃えつきてしまわないように、毎日心のガソリンを注ぎつづけている。それが読書であり、酒であり、ジムでのトレーニングだ。
こんな生活がいつまで続けられるのか分からない。たぶん少しずつでも燃えつきてしまうというのであれば、今の仕事が天職ではないということだろう。
天職に就いている人は、仕事自体が報酬であり、心のガソリンであるのだから。
★私の知りたいことは、このプレッシャーはいったいどこからやってくるのかということです。自分をちゃんと認められないとき。自分の限界をつくりあげてしまうとき。世間の常識を当たり前だと思いこんでしまうとき。考えごとをしているときや、ほかの人々と話をしているとき・・・・・・。
本当は信じていないのに、日々の糧を得るため、そして義務をまっとうするために、そこに意味があるとおもいこんでしまっているものごと。そういうものにむきあっているとき、このプレッシャーが芽を出すのではないでしょうか。
そのプレッシャーと、それにつながって現われる憂鬱感。これらは、恐怖心から生まれてくるものなのではないでしょうか。
⇒俺たちセールスに対するプレッシャーの重圧感、憂鬱感は相当なもので、本当に寿命を縮めているような気がする。しかしごく稀に、セールスが天職と言う人と出会うことがあり、そんなときはとても羨ましく感じる。 そういう人は、自分なりの恐怖の克服の方法をマスターしているのだろう。なぜなら、恐怖を感じない人など絶対にいないのだから。
★ユングいわく「生なき人生とは死に至る病である」。そうです。すこしずつ、すこしずつ、人は胸の空洞を満たすために躍起になって生きるようになってきます。そして自分の本質から、また人生からも自分たちを切りはなしてしまうのです。
もし人が、「自分を満たすのに必要なのは、自分自身なのだ」と気づけは、こうした大至急の人生も、永久に消えてなくなることでしょう。
⇒そうかなあ?この言葉には素朴に疑問を感じる。
「お釈迦様かイエスキリストじゃあるまいし、そんな簡単にいくわけないじゃん!」とツッコミを
入れたい。それに、現実問題としてセカセカ働かずしては稼ぐこともかなわず、生活が苦しい中で、本当に心が満たされるのだろうか?年収180万円のタクシー運転手の中で、常に満たされている人などいないはずだ。俺はだんだん、この本の著者は無責任なお金持ちなんじゃないかと思い始めてきた。
人生っていうものは、本当の自分を探す=本当に好きな事をしている自分になるために努力する、ことだと思う。そのために一生懸命汗をかきながら頑張ること、恐怖心を克服しようとすることは否定すべきじゃないと思うのだが・・・。そして自分の天職を見つけてはじめて満たされ、人生の完成を感じるのだと思う。
以上、東北戦線異常無し。昨日、高速道路の上で見た夕焼けはとてもきれいだったなあ。
太陽だっていつか燃えつきる。皆が燃えつきていくのだから心配してもしょうがないんじゃん?
by kaiseik
| 2005-06-24 16:26
| 読書道
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