いつかくる未来
2011年 10月 16日
先週の金曜日は東京に出張。その日の夜は茨城の実家に向かった。
秋葉原からTX(つくばエクスプレス)で守谷駅へ。そして、そこで関東鉄道常総線に乗り換え、戸頭(とがしら)というところで降りる。ここは、30年くらいまえに作られた、かつての東京のベッドタウン。今ではTXが通ったせいで、隣の守谷市に活気をすっかり奪われてしまった。斜陽化したシャッター街を抜けて、しばらく歩いた閑静な住宅街に俺の実家はある。
「ただいまぁ」
俺は、実家の玄関でいつもそう言って到着を告げる。
「あっ、お兄ちゃんが帰ってきた~」
お袋の張りのある声が、静かな家に響き渡るのも、いつも通り。
そして、ダイニングキッチンには、これも予想通り、煮物やお刺身が所狭しと並べられたいた。
「もう、夕食を食べてくるって言ってたじゃん。なんでこんなに用意しているのぉ?」
少し怒った声を出すものの、本心ではない。この後のお袋の言葉も予想できてしまうからだ。
「なんにも用意なんか、してないよぉ」
茨城の実家は、ずっと変わらないと思っていた。これまでも、これからも。
少しずつ、家も両親も朽ちていくものの、それらは永遠に続くものだと思い込むようにしてきたのだ。しかし、それが幻想なんだと気づかされたのが、去年の今頃である。
(http://kaiseik.exblog.jp/12044587/)
あれから一年、いつかくる未来をぼんやりと考えながらも、俺は安穏と暮らしてきた。
しかし、前回の連休に突然の知らせ。しかも、嫁からである。
「おとうさん、お祖父ちゃんが悪性リンパ種って診断されたんだって。しかも、既に本人に知らされているらしいよ」
「えぇっ?・・・まじ?」
「なんだか、レベル2だから、まだ大丈夫じゃないかって。お義母さんが言ってた。・・・」
それから、すでに一週間以上がたち、親父の様子はどうなのだろうか。
心配していたが、一見して本人にそれほど変わった様子は無かった。
ただ、食卓を囲んで一緒に居るときに、ふとうつむいたその顔には、得体の知れない病魔への不安や恐れのようなものが感じ取れた。そんなとき、俺は一瞬、親父にどう声をかけていいのか分からなくなってしまった。お袋は、と言うと、いつも通り元気に見えたものの、やはり心配の裏返しで、いつも以上に気丈に振舞っているのがわかる。血を分けた親子にしか感じとれない、将来の不安と陰鬱のシンクロ。
その時、俺はいつかくる未来に向けて、しっかりと現実を見通さねばならないと悟った。
翌日の土曜日の昼、俺は親父お袋を誘い、これまで何度も一緒に行った守谷市役所近くの蕎麦屋「蕎山(きょうざん)」(http://kyouzan.han-be.com/)で昼食をとることにした。そして、俺はいつも通り、舞茸天せいろを頼んだ。
親父はもくもくと蕎麦をすすり続けていたが、お袋はちょっと手をつけただけで、食べるのをやめてしまった。天ぷらは全て残ったままである。「食欲無かった?」と聞くと、最近あまり食べられないのだという。
「人は誰もが『死』という病に冒されている」
ある作家の言葉が思い起こされてくる。(http://kaiseik.exblog.jp/768320/)
また、その人はこうも言っている。
「人はみな大河の一滴」
でも、大河の一滴として海に下った後の人生って、どう思い描けるんだろう。
それが、なかなか描けないからこそ、人は思い、惑うのである。
以上、茨城戦線異常あり。
by kaiseik
| 2011-10-16 21:30
| 道をひらく
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