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何が、人を生かすのか?

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今年の2月初旬から、ずっと胸につかえてきたことがあった。それは、この2月に急にお亡くなりになった知人Sさんの墓前で、なんとしても手を合わなければならないということである。
Sさんは、今から8年前の東北時代、俺の転機となった秋田での大事業(http://kaiseik.exblog.jp/1710591/)における「戦友」とも言うべき存在であった。当時、俺が営業担当(課長)で、最初の事業を元請受注し、それ以降5年間に渡り、主要設備をSさんの会社にお願いしてきたのだ。その間、俺は横浜、長野、名古屋へと転勤。しかし、Sさんはこの東北の地で定年を越えて働き、第5期まで続いた受注総額50億円超の大プロジェクトの完成を見届けてくれたのである。
彼の献身的な支えがなかったら、当社はこの仕事を無事に完結できなかったろうし、Sさんにしてみれば、定年前の最後の大仕事であったことだろう。

その後、「私もやっとお役御免になりました」と電話で連絡頂いたのが、確か昨年の秋だったか。
「これからは、年老いたカミさんと二人でゆっくりします」と言っていたのも束の間、卒然として天に召されていかれた。享年67歳。
そんなお世話になった大恩人の葬儀に、俺は名古屋から出席できず、ちゃんとしたお別れができないままだったのである。

GWで戻ってきているこの機会に、Sさんのご冥福を祈り、ご家族に感謝の気持ちを伝えたい。今日こそ国道4号線を車で北上し、大崎市まで行ってSさん宅に伺わねば・・・。

Sさんは、大崎市役所(旧古川市役所)や、観光スポットである緒絶橋(おだえばし)、食の蔵「 醸室(かむろ)」のすぐ近く、主要な通りから小路をちょっと入ったところにお住まいだった。

着いてみると、旧城下町の町人街ならではのこじんまりしたお住まいである。3.11の影響か、窓ガラスにヒビが入ったままなのは男手が無いからなのだろうか。玄関前に立つと、中から年配の女性たちのカシマシイ声が聞こえてきた。
「あれ、お客さんでも来ているのかな?…」
奥さんは一人暮らしだと勝手に思っていたのだが、GWで親戚が来られているのだろうか・・・お休み中に他人が訪問して申し訳ないなあ。少し気が重くなりながらも呼び鈴を押すと、Sさん同様に癒し系笑顔の、とても素敵な奥様が出迎えてくれた。Sさんにして、この奥様なのである。

玄関を上がってすぐの居間に通されると、Sさんのお母様と思われる女性(その後、90歳のお母様と判明)と、その他に二人の年配の女性(近所の茶飲み友達)が、お茶とお茶菓子を前にテーブルに座っており、これまた俺を温かく迎えてくれた。
「遠いところ、よくおいでくださったねぇ。」

挨拶もそぞろに居間の奥の部屋に通されると、仏壇の脇にSさんの元気な頃の写真が飾られている。社員旅行の集合写真、好きなゴルフの際の写真、お孫さんを抱いた写真・・・。俺もよく知っている、あのSさんの笑顔がそこにあった。

俺は、Sさんの仏壇の前に座り、線香をあげて鈴(りん)を鳴らす。
「Sさん、やっと会えましたね。安らかにお眠りください。」
目を閉じて、鈴の音色が遠くに消えていくまでずっと手を合わせて、Sさんのご冥福を一心に祈った。

Sさんに本当のお別れを告げたあと、俺はすっきりした心持ちで向き直り、おそらくは俺とSさんの関係を詳しくご存じないであろう奥様に、Sさんとの当時の思い出話を語り始めた。

「秋田の本当に過酷な現場で、当社の社員全員がSさんに助けられました。ずっと、現場の調整室にこもりっきりで、奥様には相当なご迷惑をお掛けしたのではないでしょうか。でも私は、Sさんに本当に感謝をしています。」

奥様の目に涙があふれた。
「主人もそれを聞いて、とても喜んでくれていると思います。」

と同時に、これまでポツポツと降っていた小雨が、ザーという音とともに本格的な雨に変わった。
俺は一瞬、窓越しに雨粒に揺れる庭の木々を見ると、なぜかそこには陽光がまぶしく反射している。
天気雨? 狐の嫁入り・・・? 

今思えば、Sさんが何らかのメッセージを送ってくれていたのかもしれない。


「いつも出張で家を空けていて、私は今でも、主人が出張に行っているような感覚でいるのです。」
奥様は視線を下に向けながら、Sさんの記憶を噛みしめるようにしみじみと語った。


その後、あらためて居間でゆっくりするように促され、お母様、茶飲み友達二人の座るテーブルに。

そこで判明したことは、今はSさんの奥様と、Sさんのお母様の二人暮らしだということ。
そして、Sさんのお母様は今年90歳。足は不自由で家からは出られないようだが、頭と口はお達者のようで、びっくりするほどお元気である。俺が名古屋から来たということを知っていて、とても親近感を覚えたらしく、いろいろな思い出話を引き出しから出していただいた。

と、言うのも、お母様は愛知県刈谷市で育たれて、20歳のときに結婚し、東北のこの地に来たのだとのこと。古川の人となり70年。しかし、20歳の時の記憶は鮮明である。
お母様は、刈谷市の病院にお勤めされていて、戦時中にも関わらず、よく安城市の美味しいうどん屋に自転車を飛ばして食べにいったそうだ。当時から安城までの道は広く自動車は少なくって、自転車は快適な移動手段だったとのこと。また、病院の院長家族と一緒に、名駅の高島屋に毎週のように行っていたこと。そして、たまに自動車に乗せてもらったりしたこと、等々。
俺がSさん宅を訪問する機会が無くば、永遠に埋もれてしまったかもしれない記憶の数々。
しかし・・・。

「今思えば、あの時が人生で一番幸せだった。息子も、自分より先に亡くなってしまうなんて・・・。寂しくて、もう川に飛び込んで死んでしまいたい。」

お母様は、目の前のティッシュを無造作に取り、目頭を何度も押さえた。

茶飲み友達の方々は、しきりに慰めの言葉を投げかけていたが、俺はその場に居たたまれなくなり、早々に失礼させていただくことを申し出た。俺がここに居ることで、これ以上悲しい思いを増幅してしまうことだけは避けなければならない。


帰りがけに玄関で、お母様が俺に言った大切な教訓を忘れずに記しておこう。

「あんまり、お酒は飲まんようにねぇ」


以上、東北戦線異状なし。


◆大崎市「みちのく古川食の蔵 醸室(かむろ)」(http://www.pref.miyagi.jp/kohou/kenseidayori/backnumber/201006/meguru/meguru.htm)
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◆「釜ちゃん」とは、大崎市のゆるキャラとのこと。
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◆お返しに頂いた、大崎市の洋菓子店栄堂の「古川ダックワーズ」。とても優しい食感で、味も絶品。俺の美味しいモノリストに追記。
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by kaiseik | 2013-05-01 15:43 | 沁みる言葉 | Trackback | Comments(0)

北海道戦線異状無し・・・メーデーメーデーっ


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