「なぜ生きる」 その4 人生の目的は結局なんなの?
2005年 10月 30日
この本、読み進めていくと、あるところから急に理解するのが難しくなってくる。「人生の目的は無碍の一道」???
どうも、どんな罪人でも救われると一途に信じることが、永遠に幸福になる唯一の方法だと言ってるみたい。要は、心の持ち様で生きることに安心感が得られるってことか・・・?
それとも、本当に誰かが救ってくれるのを信じろというのか? 他力本願ってそういうこと?
いずれにせよそう考えるのは、無宗教の俺には無理があるなぁ。
★印以下は引用。
★少年は山ひとつ越えた学校へ、一人で通学しなければならなかった。
課外活動で遅くなった帰路などは、どきっとするようなさびしい山道もある。
夏はジリジリ照りつける太陽に焼かれ、冬は容赦なくたたきつける吹雪に、しゃがみこむこともあった。雨がふると、たちまち坂道が滝になる。
「ああ、もっと学校が近ければ・・・・・・。この山さえなかったら・・・・・・」
いつも山と道とが、恨めしかった。
やがて学校に、美しい少女が転校してきた。なんと彼女は同じ村ではないか。
以来、しばしば一緒に通学し、遠い学校のこと、さびしい山道のことなども語りあう、親しい仲になっていた。
ある日、学校をでてしばらくすると、にわか雨におそわれた。なかなかやみそうにない。
傘は少女の一本だけ。思いがけずに相合傘になった少年は、村に着くまでひそかに願った。
"雨がやまないように""山がもっとさびしければ""村がもっと遠ければいい"
"苦しめるもの"と、あんなに恨んでいた道の遠さも、山のさびしさも、変わってはいないのに、今は少しも苦にならない。"さわり"がかえって楽しみになっているようなのだ。
以上は引用。
人は、自分の心の中心をどこに置くかで、人生を楽しむことも、絶望することも可能なのだ。そしてそれは本来、外の世界とは全く関係がないものだ。だからある人は、外の世界は自分の心のフィルタによって創り出される世界と言ったりする。
ただ俺には、ずっと人生を楽しめるような心のポジションを保つ自信が無い。
どうしても自分の力の及ばない外の世界に影響を受け、自分を不安なポジションに押し流してしまう。毎日毎日、自分の心の置き所を求めて泳ぎ続ける。急流に逆らう魚のように。
悟りの境地とは、とても近くて遠いものなのだろう。
以上、東北戦線以上無し。

by kaiseik
| 2005-10-30 13:42
| 読書道
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