「切り捨てSONY リストラ部屋は何を奪ったか」 清武 英利さん
2015年 06月 21日

創業者の「自由闊達なる理想工場」を目指す精神は、その後の経営者よりもむしろ、リストラ部屋を経て辞めていった多くの元ソニー社員の胸に抱かれたまま、未だにそれぞれの活躍の場で息づいている、という切ないドキュメント。
登場人物のほとんどが実名だというところに、不思議な潔さと、元ソニー社員の「矜持」を感じた。
そして、「リストラ部屋」は社員から職を奪ったが、それと同時に皮肉にもソニー自身から、最大の強みである「自由闊達のDNA」を奪っていったとの、著者の、現経営陣に向けての批判は痛烈だ。

それにしても、いつから日本企業は、キャッシュを生み出す「マシーン」を目指すようになったのだろう。
日本は人口減少で、内需がダメだから外需、それもM&A等で我先に海外に進出せねばという企業が多い。
自ずとグローバルでの競争に巻き込まれ、企業体質や組織体制、そして人材までもが変革を余儀なくされる。
それに付いていけない人たちは無条件にふるい落とされていく定めなのだろうか。
ただ、日本企業が「キャッシュマシーン」を目指すにしても、外部環境に応じて変化を求められる企業活動の全プロセスを、いわゆる「マネタイズ」を図る仕組みに「有機的」に組み込むために「人間」という媒体が必要なら、最低限「有機的」組織であるための「理念」や「理想」というウェットな求心力は必須だと思う。
また、創業時のソニーの様に、新たな価値を生み出す組織風土自体が企業の「強み」であって、それを伝承し続ける遺伝子のキャリアが「人間」ならば、それらの人の心の問題は最重要事項のはずだ。
そう考えると、ここ最近のソニー経営者の行動、発言は、社員の心を捉えているとは言い難い。

この本を読んでいて、組織とは、外部環境に従い例外なく変わってゆかねばならないものなのだ、という経営者目線からの一種の「諦観」を感じる一方、俺自身がリストラ部屋に入れられたとしたらどうしたものか、という自分化したところからも考えさせられることが多かった。
俺ももう50歳。
退職金は、今年から少しずつ下がり続け、その後55歳を節目に急降下してゆく。
「リストラ部屋」に行かされるくらなら、俺の能力を求めてくれる会社や、より社会に貢献できると思われる会社に、間違いなく転出するであろう。
転出先が、あればの話だけど・・・(汗)
いつか来る「その日」のために、これからの日々を怠らず己の「刃」を研ぎ続けねば。
以上、東北戦線異状無し。

by kaiseik
| 2015-06-21 17:07
| 読書道
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