往きて生きる
2015年 10月 04日
先週金曜日9/25に、母上の祖母が亡くなった。
俺のバアチャンは、生まれ故郷の茨城の山里に、伯父さん夫婦とその娘に世話を焼かれながら住んでいた。
生前はとても明るく気丈だったバアチャン。
72年に一回行われる金砂神社大祭礼を二度観る事ができた、明治45年生まれの満103歳。
※東金砂神社 磯出大祭礼(http://bunkashisan.ne.jp/search/ViewContent.php?from=14&ContentID=327)
俺が連絡をもらった時は、ちょうど東京に出張中であった。
そのため、日曜日の「納棺式」と、お坊さんの都合で翌火曜日の29日になった家族だけの通夜に参加するべく、すぐに茨城県常陸大宮市へ向かった。
月曜日の仙台での仕事の予定をキャンセルして、茨城の伯父さんの家に泊めてもらうことにしたのだ。
最後は、目も耳も身体も不自由になり、寝たきりになったバアチャン。
叔父さん家の庭の彼岸花は、もう散りかけていた。
女性の納棺士に身なりを整えられ薄い化粧を施された祖母を棺に収める「納棺式」なるものにも始めて立ち合い、祖母の冷たく硬直した手や足に触れたとき、俺のバアチャンは、ここに骸を置いて、どこかに去っていってしまったのだと感じた。
俺は、売りに出ていた会社の保養所を買い取ったというログハウス風の伯父さん家で、毎晩伯父さんと酒をしこたま飲んだ。
もちろん、傍らには祭壇とバアチャンの棺があるが、酔いもまわったせいもあり、いつのまにかその存在が日常の置物のようになっていた。
そうやって、俺のバアチャンの骸は単なる死体となり、皆の心の中に、死者として生きて、語り継がれる存在になっていくのだろう。「往生」(往きて、生きる)とは、そういうことなのだ。
最後は、目も耳も身体も不自由になり、寝たきりになったバアチャン。
しかし、お袋が大声で呼び掛けると笑顔を浮かべていたから、意識は確かに有ったようだが、死ぬ間際にバアチャンの心の目には何が映っていたのだろう。
大勢の家族に見送られたバアチャンの最後は、優しく温かな光に包まれたものであって欲しいと思う。
以上、東北戦線異状なし。
バアチャンと、うちの長男 (平成二年頃)
帰りの電車の中でふと見上げると、バアチャンが龍になって見送ってくれていた。
by kaiseik
| 2015-10-04 11:55
| 道をひらく
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