「独白するユニバーサル横メルカトル」 平山夢明さん
2006年 12月 11日
今日は朝から大阪日帰り出張であった。土曜日に嫁に「送れ」と頼んでおいたコートは未だ到着せず、寒さに凍えながら新幹線に乗った。着いた新大阪も期待を裏切る横浜同様の寒さ。前回真夏に訪れた時の蝉の大合唱が夢のようである。
今日の往復で読み終えたこの本、退屈を紛らわすには十分にインパクトある一冊だった。
「このミステリーがすごい!」2007年第1位との帯を見てこの本を手に取ったとき、悪寒のようなものを感じていったん本棚に戻したのだが、結局GIGERチックな表紙に惹かれて買ってしまった。
この本は理性ある大人にはなんとか読みきれるが、理性の十分育っていない青年には禁断の果実である。
今や読み終わった俺は自分の脳の奥にある死への興奮を打ち消すのに必死だ。人は許されざる行為に対して心の奥底で一種の興味を必ず持っているものなのだろう。
それほど、死臭や反吐を崇拝させるこの本を、書店に置くことを俺は大人として許せない。
ただし、あくまで強固な理性の壁の中からこの本の内容を吟味すると、作者が極めて緻密にそれぞれのストーリーの構成を考えていることに脱帽する。
人間の精神世界、理性のぎりぎりを計算つくし、精密機械のようにそれを操ることが作者の目的なのか?それが目的だとしたら彼は天才であり、完全犯罪者である。

おそらく、この本は読んだ人の80%に耐え難い不快感、嘔吐感を与えるが、残りの20%にはアドレナリンの分泌と高揚感を促す。そしてその20%の人々の中の1%が、実際にこの世で犯罪と呼ばれる行為に自然と導かれることになるであろう。
純粋な人間の心の底をサルベージして、引き上げた汚物を宝物に見せかけて取り出させるような、非常に危険な書物である。
そんな意味で、俺が読み終わったこの本は今の世に存在してはいけないと思う。
現代においても焚書の対象となり得る一冊だ。
以上、横浜戦線異常無し。

by kaiseik
| 2006-12-11 19:58
| 読書道
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