「メドゥサ、鏡をごらん」 井上夢人さん
2007年 03月 24日
昨日は東北の支店で打ち合わせがあり二時くらいに仙台に着いた。仙台駅から支店のある定禅寺通りまで歩いたが、久々の昼間の仙台は横浜とは違う清清しい輝きに包まれていた。
さてこの本、新大阪駅の本屋で買った数冊の中の一冊であり、仙台に向う新幹線の中で読み終えた。とにかく驚愕のストーリーに唸ってしまう、割れた鏡の断片を組み合わせていくような構成で、その鏡の中には何が見えるのか?読み進めていけばいくほど加速度的に背筋が凍っていく一冊だ。
読者はストーリーの後半、実は最初からおどろおどろしい呪文が唱えられていたのだとやっと気づく。しかし、気づいた時にはもう手遅れだ。メドゥサに凝視された様に、身動きすら出来なくなっている。もうこの本を読み終えずにはいられない。
以前「狂気」は論理的推理の敵だと書いたが、ここで表現されている「狂気」はまさにリアリティがある「狂気」である。本当の「狂気」とは、実は本人にとっては普段となんの違いも無いありふれた日常なのだ。この物語の主人公の様に、正常だと思っていた自分が救われようの無い「狂気」に踊らされていることに気づく事が、この世において真の「絶望」と言うのであろう。
この本くらいネタバレしやすい本は無いので、ストーリーについては多くを語らないが、俺がこれまで読んだミステリーの中でもトップクラスの面白さだと言って良い。
東北の支店の近く、一番町のアーケードの入り口にいまどき珍しい鏡店がある。
ついつい鏡の中をのぞいてしまった。中に誰かが潜んでいるような気がして・・・
以上、東北戦線異常無し。
さてこの本、新大阪駅の本屋で買った数冊の中の一冊であり、仙台に向う新幹線の中で読み終えた。とにかく驚愕のストーリーに唸ってしまう、割れた鏡の断片を組み合わせていくような構成で、その鏡の中には何が見えるのか?読み進めていけばいくほど加速度的に背筋が凍っていく一冊だ。
読者はストーリーの後半、実は最初からおどろおどろしい呪文が唱えられていたのだとやっと気づく。しかし、気づいた時にはもう手遅れだ。メドゥサに凝視された様に、身動きすら出来なくなっている。もうこの本を読み終えずにはいられない。
以前「狂気」は論理的推理の敵だと書いたが、ここで表現されている「狂気」はまさにリアリティがある「狂気」である。本当の「狂気」とは、実は本人にとっては普段となんの違いも無いありふれた日常なのだ。この物語の主人公の様に、正常だと思っていた自分が救われようの無い「狂気」に踊らされていることに気づく事が、この世において真の「絶望」と言うのであろう。
この本くらいネタバレしやすい本は無いので、ストーリーについては多くを語らないが、俺がこれまで読んだミステリーの中でもトップクラスの面白さだと言って良い。
東北の支店の近く、一番町のアーケードの入り口にいまどき珍しい鏡店がある。
ついつい鏡の中をのぞいてしまった。中に誰かが潜んでいるような気がして・・・
以上、東北戦線異常無し。
by kaiseik
| 2007-03-24 18:31
| 読書道
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